1998年 |
当時のオーナーである鈴井氏の呼びかけの下、フランスワールドカップの余韻が覚めやらぬとある暑い夏の日、豊平川河川敷に一握りのサッカー経験者とその数倍のド素人が集まる。その数なんと50人超。ゴイスキューブの前身ゴイスFCのまさしく第一歩である。 |
1999年 |
なんの間違いか練習試合は連戦連勝。それならばと札幌サッカー協会にリーグ登録。ようやく日の目を見るサッカークラブに・・・。結局この年のリーグ戦は4位(10チーム中)で終わるも充実した一年 |
2000年 |
各方面に声を掛け大型補強を慣行。しかしススキノでのキャバクラハレンチ接待が表面化し、集団で女子マネが退団。ゴイスFCの男色化が進む。 |
2001年 |
年間の試合数がなんと60試合を超える。ただしその多くは夜のススキノでの女子チームとの試合。あまりにやりすぎた為、嫁・彼女等から三下り半を突きつけられる選手続出。チーム絆は深まったが、家庭崩壊の危機。 |
2002年 |
札幌市内はW杯のおかげで空前のサッカーブーム。それもそのはず、予選の好カード、イングランドvsアルゼンチンが生で目の前で見れるのだ。サッカー協会から配布されたプレミアチケットを巡りチーム内で争奪戦勃発。先輩後輩関係無しの下克上時代。 |
2003年 |
めでたく前年のリーグで5位をゲットし、この年はリーグ部長。試合のたびに一日中外に居るので各選手日焼けで真っ黒。普段サラリーマンをしている選手はお客さんや得意先に不振な目で見られたとか。リーグ部長恐るべし。 |
2004年 |
今までススキノ中心に行われたいたミーティングを廃止。健全なロイヤルホストやガストでの会合が多くなる。そのためコンパ等の女子チームの交流も激減。ゴイスバブル崩壊。 |
2005年 |
気持ちも新たにチーム名をゴイスFCからゴイス球部(と書いてキューブ)に変更。名前の由来はサッカー以外の球技に果敢に挑戦する・・・というためではなく、なんとなくロゴが面白いからという単純な理由。さて今期の結果は・・・。 |